お見舞いをめぐる交錯

※下書きに残していたものを放出しただけです。したがって3月20日現在、入院はしていません。

 

 

昨日、友人がお見舞いに来てくれた。

久しぶりに時間を忘れて、3〜4時間談笑した。病院内の入院患者さんやナースさんの中にも冗談を飛ばし合えるような人が数人できてきたところだが、やはりそれなりに付き合いのある人と過ごすのは楽しい。

(入院してから1ヶ月が経とうとしているが、外出どころか病棟の外にすらほとんど行けていない。作業療法などで病院内を移動するときでさえ、必ず看護師が付き添ってくる。開放病棟とは名ばかりで、結局は閉鎖病棟と大して変わらない。心理的には大きく違うがそこら辺は別枠で。)

 

お見舞いと言えば、来てくれればもちろん嬉しい。だが一方で、なんとなく申し訳なさがあった。私のために交通費や時間を割いてくれて(更にはお土産まで気を使ってくれて)申し訳ない、と。人が手を差し伸べてくれる時、いつもそう思う。こんな私のために、あなたの貴重な時間や資源を割いてしまって頭が上がらない。私は何もしていないのに、ここまでしていただいてありがとうございます。できる限り、あなたの迷惑にならないようにします…と。

 

お見舞いには既に何人か来てくれていて、その度に「来てくれてありがとう」と感謝を伝えているのだけれど、一方で、お見舞い客から「どうしてもなすさんのことが気になって来ちゃった。押しかけてごめんね」とか「私がなすさんに会いたかったから来ただけだよ」と言われることが何度かあって驚いた。

「私のため」に来てくれているのだと思っていた彼らは実は「彼ら自身のため」に来ていた。

 

後日追記:

だからといって、お見舞いに来てくれた嬉しさが減るわけでもない。このことは私にとって衝撃だった。それから私は他人の恩を少しだけ図々しく受け取るようになった。

 

注:

"開放病棟とは名ばかりで"という記述があるが、私がいたのは結局閉鎖病棟だったらしい。閉鎖病棟の更に隔離された所にいたので、そこから出た場所であるところは開放病棟だと思い込んでいた。