「許す/許せない」から降りること。ふみふみこ「愛と呪い」

私は、例えば社会情勢と絡めるような客観めいた語りもできない。曖昧な手触りを、強い物語に流されてしまわないように丹念になぞって自分のものにしようとする。その感覚、そこから生まれる心の動きに集中し、触れている対象には目を向けようともしない。対象物に興味があるから触れるのではなく、自分に刺激を加えるとどう揺れ動くか知りたいから触れる。徹底して自分本位。それが私のツイートであり、ブログである。

そんな私の感じた手触りなんかではなく、ふみふみこ「愛と呪い」自体について知りたい奴はAmazonなんかを開いた方がいい。あらすじだけでなくご丁寧にレビューまで載っている。もちろん、このブログではあらすじなんてものは書かない。勝手に僕の内面をぶちまけるだけだ。作品自体について知りたい奴はググれ。手に取って読め。

 
 

 

小洒落た創作居酒屋の扉を開くと、テーブル席のソファーに3人座っていた。中年2人に私と同世代くらいの若者がひとり。店の雰囲気とよく合う重厚な木製のテーブルだ。奥には6人ほど座れるカウンターもあるが、テーブル席の3人のほかに客はいない。大将が暇そうにタバコを吸っている。私はといえば他大学の、それも一度顔を合わせたきりにすぎないH教授の送別会になぜか誘われたのだった。席について挨拶をすると、マスクをしたH教授が「俺はコロナではないから安心してくれ。検査も受けてきた。俺は喘息持ちなんだ。」といたずらっぽく言った。福岡に転勤してから喘息を発症したらしい。そこから大学の愚痴が始まった。相変わらず話し上手だ。誘ってくれた友人2人が10分ほど遅れてやって来て会は始まった。

哲学と統計的な心理学が交差する高尚そうな話題から絵しりとりまで、話や遊びのネタは尽きなかった。友人はプリクラを撮りたがっていたが、O先生が頑なに拒否したので0時過ぎにそのまま解散した。解散といっても、終電は過ぎている。友人らと私を含む学生4人は近くに住む人の家になだれ込む。「合法」のお香を焚いてみたり、先に寝たMに睡眠学習と称して上野千鶴子『家父長制と資本制』を読み聞かせたりしているうちに、いつしか眠くなって、気づいたら朝がきていた。友人たちはバイトや用事のために次々と去っていく。

そんな中私ひとり居座って読んだ本の1つがこれ。ふみふみこ「愛と呪い」全3巻。

 

 

 

………………さて。ここから、この漫画の感想が入る予定だったけれど、時間が経ちすぎて忘れた。なにしろ数週間前に書いた下書きの続きを書き加えているのだ。ノリでちょっと書いてみる。

 私はこれを書かないともう前に進めませんでしたし、そしてこれを書き終えて、自分が本当は憎しみや、悲しみとは違うものを探し続けていたのだと感じることができました。最後まで見届けて下さり、本当に本当にありがとうございました。貴方の未来がより良い未来でありますように。どうか希望がありますように(ふみふみこ

ふみふみこ『愛と呪い』第3巻より 

 

「自分が本当は憎しみや、悲しみとは違うものを探し続けていた」。この言葉にハッとした。私もある人に対して「許せない」という思いを抱き続けている。その出来事からもう7年が経とうとしている。「許してほしい」と乞われもしていないのに「許せない」と呪い続ける。いつか許せる日がくるのか。

そんなことを考えていた時期もあった。私がその出来事から解放される時とはその人を許した時ではないと最近は思う。「許す/許せない」というところから降りること。その先に何があるかは分からないけれど、いつかそんな風になれたらいい。

愛と呪い 1巻: バンチコミックス

愛と呪い 1巻: バンチコミックス

 

 

なぜ僕をこんなふうにしたんだと、どうすることもできない恨みに生きるのは、もう疲れた。

母を、兄を、許さなければいけないと思うことにも、もう疲れた。

どうして許さなければいけないんだろう、一度も謝ってもらった事もないのに。

そうして僕は血縁者の誰とも、もう二度と会わないと決めた。

 

(中略)

 

 もう考えなくてもいい。自分を解放してあげたい。

 

安藤光「おかあさん、さようなら」、大塚・城戸編『LGBTのひろば』日本評論社 

 

LGBTのひろば (こころの科学)

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  • 発売日: 2017/09/25
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