読書記録初めて見ます。納富信留『プラトンとの哲学』

タイトルの通りです。実は一度、ふみふみこ「愛と呪い」で書いたのですが、「友達と遊んで楽しかった」みたいな日記メインになってしまい、しかも読書感想文めちゃくちゃ苦手であることに気づきました。

そもそも、なぜ読書記録を始めようと思ったかというと、ツイッターのフォロワーさんが「文章書くといいですよ。わたしは、院時代、毎日一冊読んで、ブログを8,000字ぐらい書いてました。それで自分を空にしていた」と言っていて、「自分を空にする」という言葉にずっと惹かれていました。私はとにかく自分で一杯だった。今もそうだが、ずっと自分、自分、自分。自分を手放したい。これは眠れそうで眠れない時にいつも思うが、どこかで自分を手放せずにいる。

もう一つ、読書記録をつけようと思った理由がある。それは、どーーーーーしてもレポートが書けずにいることだ。広大な白紙を前にすると今度は頭が空っぽになる。計画性のなさなど色々なことが絡み合ってレポートが書けないんだとは思うが、この4年間で生産した資源ごみの数は4,5本程度。まあ、多くても2桁はいかない。ほとんどの授業でレポートが必須であるのだがら、留年して当たり前だ。まあ、読書記録をつけることがレポートに役立つのかはよくわからんが、役に立つ気はする。役に立ってくれ。

そんなわけで、今ノートパソコンの前に座っているのだが近況報告くらいはダラダラ書けるもんだね。ほら、今656文字だよ。あっ、667文字になった。今までは気持ちがガーッと入り込んだ時に、そこから切り離すようにしてしかブログを書いてこなかった。だから新鮮な気持ち。俺、雑談できるんや。

あんまりダラダラ書いていると読書記録に辿り着く前に力尽きそうだ。最後にこれだけ書き残して、読書記録に入る。一度はグダった読書記録。なぜ再開することにしたかというと、友人から「もっと気楽にアウトプットしてもいいかもね」と言ってくれたからだ。ブログにも書いているみたいだから気になる方はそちらを。とりあえず、一言でいいからぼちぼち書いてみて、あわよくば何か上達すればいいなくらいの気持ちで読書記録やっていきます。

 

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と言いつつ、最初の一冊を読み終えてから2週間、上の前置きを書いてから3日が経ってしまった。そのレベルの曖昧な読書記録であることは明記しておく。

 さて、そんな私が読んだのは納富信留プラトンとの哲学』。

 

プラトンとの哲学――対話篇をよむ (岩波新書)

プラトンとの哲学――対話篇をよむ (岩波新書)

  • 作者:納富 信留
  • 発売日: 2015/07/23
  • メディア: 新書
 

 友人に誘われて、貫成人『哲学マップ』という哲学史の新書を読む読書会に参加している。そのレジュメをつくる中で気になることが出てきたので借りてきた次第だ。ソクラテスプラトンはとにかく知ること、知ろうとすることと生き方の関係を、手を変え品を変え言っているように感じたのだが、いまいちどういうことか分からなかった。

 

そのような疑問を頭に入れつつ読む。本書は著者がプラトンに話しかけるスタンスで進む。いわば、対話篇をめぐる(著者とプラトンとの)対話篇である。プラトンの対話篇は、例えば『ゴルギアス』のように、ソクラテスの対話相手が本のタイトルになることが多い。それに倣うならこの本のタイトルは『納富信留』ということになる。

 

「魂の配慮」の勧告を哲学そのものにするには、言葉(ロゴス)における探求が必要です。(67)

ソクラテスはとにかくストイック。そして徹底して言葉にこだわる。どうしてロゴスによる探究である必要性があるのか。それはまだ読み取れなかった。おそらく第3章の『パイドン』のところが一番近いと思うのだが、私にはまだ難しかった。ソクラテスの説教臭さにも通じるそのストイックな姿勢は、徹底的に断絶した何かを意識し続けることでもある。断絶したものの一つに「死」が挙げられる。「死とは何か」を私たちは知らない。知らないものに目を向けようとし続けることは、訳の分からない「死」と向き合う練習に類似しており、その意味でこの哲学は「死の訓練」とも言える(76)。「知」と「死」はあまり接点がないような気もするが、ソクラテスなら「本当に知ったならその時点で生き方は変わる」と言うだろうし、「死」もよく分からない生き方に飛び込むことであり、やはり近いのかもしれない…。本書によれば、魂と肉体が分離するという意味でも、哲学と死というのは近い…そうだ。

 

あー、そういえば、哲学って一人で部屋に籠りきりとか、一人で散歩して思索にふけるイメージがあるけど、ソクラテスは対話を繰り返していてそこも気になるんだった。

 

対話篇の対話篇。今目の前にいない人と対話し続けること。その一端を覗かせてもらったように思うし、ここからは対話篇の対話篇の対話篇が始まるのかもしれない。