【要約】「トランス男性たちのセクシュアリティにまつわるナラティブ実践」①導入

▽テキスト

J.R. Latham, 2016, Trans men’s sexual narrative-practices: Introducing STS to trans and sexuality studies

 

▽読書会の経緯とお誘い

 社会様が前提とし、押し付けてくる性別に何かしらの戸惑いがあるとは少なからず言えるが、それ以上自分自身のことをどのように説明していいか分からない。でも、説明できないために嫌な思いをしがち。より息がしやすくなるには、どのようにすればいいのか、弱った弱った。......というような話をゲイル・サラモン『身体を引き受ける』読書会でいりやさんに話したところ、上記の文献を紹介してもらった(と記憶しているが、記憶違いだったらごめんなさい)。

 そんなわけで、2021年11月28日現在、上記文献の読書会をぼちぼち進めています。読書会は、英語に慣れない人たちでえっちらほっちらその場で読み進めています。興味のある方はぜひお問い合わせください。とりあえず様子見の参加も大歓迎です。

 内容が面白かったのでメモがてら、読み進めたところまで要約していきます。大学サボり気味&英語慣れない者がなんとか読んだ結果なので、間違いも多いはずです。間違いや要約でおかしいところがあれば、是非教えてください。

◯読書会に関してや、当記事へのコメントなど連絡先

・メール:uncannyvally_v★gmail.com

Twitterアカウント:不気味の谷 (@uncannyvalley_V) | Twitter

 

 

J.R. Latham 「トランス男性たちの性的なナラティブ実践—トランスジェンダースタディーズやセクシュアリティスタディーズへのSTSの導入」

 

▽論考全体の要旨

 トランスジェンダーの人々が性的な交わりにおいて自己嫌悪に充ちているという医学的な想定は、トランスの人たちの身体やセクシュアリティに関する様々な経験を考慮に入れ損ねている。この小論では、ナラティブを考察することを通じて具体的な実践に注目する科学技術スタディーズ(science and technology studies, STS)の最近の研究を拡張し、トランスジェンダーセクシュアリティを位置づけるための新しいパラダイムを論じる。トランス男性らの自伝的な語りを分析し、トランス男性らが性的主体として自分自身(と男性性を振舞うこと)を理解する方法の一部を紹介したい。

 

▽347~350ページまでの要約

 伝統的で医学的なトランスジェンダーの人たちに対する理解では、特に生殖器に対する嫌悪感から性的な心地よさを経験しないとされてきたが、実際には必ずしもそうであるとは限らない。

 筆者は、トランスのセクシュアリティにまつわるグレーゾーンが広く残り続けているのは、「身体」、特にトランスの身体にまつわる伝統的な考え方が不適切であるからだと主張する。この小論では、(身体のような)対象や「実在 “reality”」を単一ではなく多として再考する「科学技術スタディーズ(STS)」は、トランスのあり方の複雑さをより真剣に受け止めることができると論じる。STSの革新的な研究方法と考え方を用いて、医学的な論理を取り消し、トランスの生を理解するための新しいパラダイムを論じる。筆者が「ナラティブ実践 “narrative-practice”」と呼んでいるものを通じて、トランス男性が自身の男性性を理解する仕方の一部を紹介する。


▽もっとざっくり説明してみる

 今までの伝統的な医学的なトランスジェンダー理解では、トランスの人たちは性器への嫌悪感によってセックスで心地よさを感じることはないとされていた。しかし、実際は必ずしもそうではない(下記、当事者の手記を参照すべし)。そのような齟齬が発生している現状を打破すべく、筆者は科学技術スタディーズ(STS)を導入し、トランス男性のナラティブの一部を分析する。(次の節に続く)

 

▽本文で引用されていた文章の訳

わかるわ~と思ったので、取り上げてみました。

 

347ページ

セックスしているときほど、自分自身をより人間だと、この肉体を感じたことはない。(中略) 複雑になった身体が触れ合うことで、私たちは生きていくのに十分快適なかたちへと粘土のように形づくられていく。セックスはジグソーパズルのような私の身体を、繋ぎ合わせる接着剤だ。相手の接触に身を委ねることは、虐待と性別違和によって失われた身体を私に取り戻してくれた。ハッキリ言うなら、それは私を本物にしてくれた。(Lowrey, 2001:96)

 

 

348ページ

「(性別適合)手術前」にセックスライフを送ったり、性的快楽を得たりすることは、性別違和感が「治った」と見なされるか、そうでなければ、トランスセクシュアルであるために十分な身体嫌悪を持っていないに違いない証拠だとされてしまう。(p.131;強調は筆者が付け加えた)

 

テストステロンを処方してもらうために、医師に嘘をつくことさえしなければならなかった。どうしてもほしかったテストステロンが処方されないことを怖れていたので、医師に嘘をつかなければならないと感じていた。人工ペニスがほしいふりもした。なぜなら、医師は私がペニスのない男性であることは認めるが、ペニスをつけたくない男性であることは認めなかったからだ。私はペニスが欲しいと思わなければならないと感じた。(2008: 78-9)

 

 

349ページ

私の性器はジェンダーをもたず、それはただ単に性器であるだけであって、私の身体の一部である。そして、私は男性であるから、私の性器は男性の身体の一部であると理解するようになった(Laird, 2008: 78)