合理的配慮ユーザー対談 vol.1

合理的配慮を利用しているけど、なんだかうまくいかない。そんな二人がつらつらおしゃべりしてみました。録音音声も公開中!

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まずは自己紹介「どういう風に合理的配慮使ってる?」

Aska 今回話すことになった経緯は、先日文鳥さんと会ったときに、合理的配慮をお互い使っていることが分かったのと、いろいろなことでモヤモヤしていて、合理的配慮との付き合い方よくわかんねえってことが共通点を知って。しかもそういう話題を見聞きすることもないし、喋りたいし折角だから残したいねってい感じで今回に至りました。

文鳥 全く完璧。すばらしい(笑)

Aska じゃあ、自己紹介しよっか。ここでの名前と合理的配慮とどんな関わりがあるかとか、なんでもオッケーです。まあ、なんでもっていうと難しくなりそうだけど。じゃあ、気が向いた方から喋ろうか。

文鳥 文鳥です。合理的配慮との関わりは、主に学校の方で、学業の場面で使っているという感じです。どういう風に使うようになったかというと、大学に入って、早々に勉強が手につかなくなって、なんで手につかなくなったのかはちょっとよく分からないんだけれど…。それで、合理的配慮の担当の、教員と学生の間を取り持つっていうのかな、そういう部署があって。私の学校に。特別学習支援室っていう名前なんですけど。そこにスケジュール管理とか、優先順位のつけ方とか、色々溜まってくるタスクに優先順位つけたりっていうのをやったりしてました。で、割と早いうちから「次の学期は合理的配慮出さないか」って言われていたんですけれども、自分の困りごとっていうのが病気とか障害っていう名前がついていなかったから、はじめのうちはそういう風に言われても拒否したり、それでもやっぱうまくいかなくて、結局使うことになったんですけれど、それでも抵抗感があったりとかしました。やっと最近、自分の困りごとは病気とか障害とかいう名前はついていないけれど、自分ではコントロールが難しいっていうのが分かって。確かに困ってるから、使ってもいいんじゃないかっていう風に思えるようになって徐々に受け入れられてきたかなという感じです。

Aska Askaです。合理的配慮は大学の単位取ることに関して使ってて、どういう経緯で使い始めたのかは忘れちゃった。意外と忘れるもんだね。

文鳥 そうだね〜。

Aska 今合理的配慮は、何に使ってるかな。ほぼほぼ大学行ってないから合理的配慮どんな感じで使ってるのか分からなくなっちゃった。えっと…メモあるはず。ちょっと待ってね(メールを漁り始める)。でも、合理的配慮を使うことを受け入れることについては、うーん、自力で超大量に単位取れた時もあったから合理的配慮使わなくても何とかなるんじゃねって気持ちもあったんだけど、最近はやっぱ自力では無理だわみたいな気持ちもどっちもあるって感じかも。頑張ればできるんじゃねみたいな。がんばってできたときもあったから。でも今は投げやり状態っ。(単位取るのもう)無理っしょって感じだね。

文鳥 うんうん。

Aska お互いの自己紹介でもっと聞きたいこととかあれば。答えたくないことは答えなくていいんだけど。

文鳥 調整っていうのは色んな事やってもらってるって言ってたっけ?

Aska そうね、いろいろやってもらったかも。レポートの期限を延長してもらうとかもあったな。授業出てないときに、レポートとか試験の情報が出たらあれだから、それに対応してもらうとかもあったな。文鳥さんはどう?

文鳥 一応(合理的配慮を)使ってる、使ってるっていうか、合理的配慮として出してるのは授業の科目の担当の教員の人へ「こういう学生さんがいます」とお知らせしてもらうのと、あと、うーん、あれだった、期末試験の〆切を延長してもらって助かったのもある。春の方に受けた授業で、堀江有里さんの授業だったんだけど。堀江さんは「絶対締め切り過ぎたら何が何でも原則受け付けませんから!」みたいな感じだったんだけど、私が「合理的配慮使ってるんですけど…」って言ったら、「はいどうぞ~」って言って(笑)。すんなり柔軟に対応っていうか〆切伸ばしてくれて、首の皮繋がったなって今思い出した。

Aska 使ってみるもんだね~。

文鳥 そうだね。他の授業でも課題の〆切をのばしてもらうっていうのがあって。だけどそれって、それが合理的配慮なのかどうかわからない。

Aska どういうこと?

文鳥 他の学生さんにも同じようにやってるのか、私の事情を鑑みて「あなたにはそうした方がいいね」ってことで個別に調整して期限を延ばしてもらったのかどっちか分からないけど、だけど延ばしてもらうっていうのはよくやってもらったな。

Aska 聞くのけっこう勇気いるからすげえって感じ。それぞれの困りごとに合わせてどういう対応してもらうか考えたりとかするんだけどさ、他の例とか知りたいよね。「こういう対応も可能です」とか「こういう困りごとがあって」みたいなの知りたくねって思った、今。

文鳥 そうだねそうだね。

障害者運動のたまものでもある合理的配慮、使い方がわかんねえ

Aska 急に「ほい、合理的配慮だよ!使ってね!」って言われてもどうしていいか分かんねえみたいなのあるよね。

文鳥 そうだよね。今までの障害者運動の活動家の人のたまものである合理的配慮、手元にあるんだけど使い方がわかんねえみたいな(笑)。

Aska たしかに(笑)

文鳥 分かんない(笑)。武器っていうか、強いツールを手に入れたけど使い方がちょっと素人にはわからんみたいな。

Aska そうそう。うまいこと言った(笑)。ホントどう使っていいか…持て余してる感あるよね。

文鳥 なんか腑に落ちない、しっくりきてない。フィット感がないみたいなのある。自分のことなのに(笑)。

Aska 使えるのはいいんだけど、使い方がイマイチ分かんない感じだよね。上手な使い方わかんない。自分の場合は利用するにあたって面談して「こういう困りごとあるんだったらこういうのどう?」とか「こういうの困ってるよね」って言ってくれる先生がいるんだけど。でもそれでもイマイチ上手に使えないところがあるんだよね。文鳥さんはどういうシステムで使えるようになってるの?

文鳥 私の学校の特別学習支援室ってところが、障害のある学生さんに合理的配慮の調整担っててて、障害みたいな名前がついてなくても私みたいにやってもらってる人もいるらしいんだけど。それで、そこの職員さんが、先生ではないんだけど職員の人がいてその人と面談して、それで最初の方は支援申請書みたいなの書いて、「こうこうこういう支援、サポートが欲しいです」って言って、それで使ったかな。そこの職員さんが、先生にお知らせとかするらしい。

『努力してるけどできない』ってことを強調されることのもやもや

Aska 事前に挙げてた気になりトピックから喋ってみる?

文鳥 うんうん。わたし、Askaさんが(事前にドキュメントに)書いた「『努力してるけどできない』ってことを強調されることのもやもや」っていうの聞きたいな。

Aska 「合理的(!)」って名前がついてるだけあってさ、「ちゃんとやってるけどできないから使います」というか、なんかこう「怠けてるわけじゃない」っていうのをめっちゃ強調されてる感じがある。職員さんから「怠けてるわけじゃないんだよね」って言われることがあって、「いや、でも怠けてる感じもするんだよなあ」みたいな(笑)。そこの境目をさ、くっきり分けようとする感じがすごい苦手だなって。うまく言えないけど、これがすんなり使える人だったらさ、この調整を使ったことで余裕で授業に参加できるようになりますって感じだったらさ、例えば「ノートテイクをしたら余裕で授業参加できます」みたいな効果がはっきりわかったら、怠けてるわけじゃないっていうのが分かりやすいけど、自分の場合は調整を使ってもイマイチうまくいかないみたいなところがあって…。怠けてる気もするしなあ、しないしなあ、みたいな。でも、怠けている訳じゃないよねって言われることで、職員さんに言いづらくなることもある気がするなあって感じ。うまく言えなかった!

文鳥 もどかしい感じがあるよね。このもどかしさを語る言語の欠乏(笑)。

Aska そうそう(笑)。話すことないよね、なかなかさ。合理的配慮を使うときの話し合いだったらさ、合理的配慮を使うことにフォーカス当てるじゃん?だから別の話題はちょっと…って感じじゃん?別の話題はうまい感じに流されるっていうか。だからそういう話題をできる相手がいないから思考が進まないっていうのはあるよね。

文鳥 そうね。こういう風な話はあんましないかもね。

Aska 文鳥さんは「『努力してるけどできない』とか『怠けてるからできない』の境目をくっきり分けようとする感じ」に共感するところある?

文鳥 なんかね、Askaさんとは違うかなって思うけど、なんかわかる。すごい重要なところを言い当ててるんだと思う。重要な化石のある断崖絶壁みたいなところにAskaさんと二人で辿り着いて、「やったね!」って言ってるんだけどあの化石どうやって掘り出そうかみたいな。何て言えばいいの、どうやってそこに辿り着いて、どういうツールであれをうまいこと掘り出せばいいんだろうみたいな(笑)。

Aska そうだよね(笑)

文鳥 特に弱ってるときって、私のできなさについては、落ち込んでるときのできなさって、内面が朽ちて言ってる感じがある。自分の落ち込んでるときとか、内面が朽ちて行ってて、朽ちることによるできなさっていうのは怠けっていうか…言葉にできないな。出来ないときは大体落ち込んでるときなんだけど、落ち込んでるときは内面から朽ちて言ってる感じがして、ハッキリした自分とかないような感じがして。当然努力とかそういう気持ちにはなれないわけよ。改善とか。だから…何言ってるんだろう私。(文鳥後記:『ぼそぼそ声のフェミニズム』中の「『愚かさ』『弱さ』の尊重」が念頭にありました。うつのときは内面が「朽ちて」いって自己決定できる自己がどこか揺らぐよね、しないとできないの判別は難しいよね、みたいなこと栗田さんは言ってた気がする。うろ覚えですが)

Aska 全然ぐちゃぐちゃな語りでいいよ。

文鳥 だからなんというか…。何言おうとしてるんだろう、私。もどかしい感じがあるな。

Aska 朽ちていってる感じがして、自分じゃない感じがして、頑張る気もしない感じがして…

文鳥 なんかね、自分じゃない感じっていうか、努力とかコントロールとかできない感じかな。そもそも努力するっていう意欲が起きないところにいるときが多いから、その時のできなさをカバーするために合理的配慮を出すじゃんか。そういう時に「ただの怠けじゃなくて権利なんです」みたいな風な感じで合理的配慮を出すけれど、一方で怠けてるんじゃねっていうか…このもやもやが言葉にならない。

Aska でもちょっと思うのは、「怠けさせてよ~」って感じじゃない?(笑)。怠ける余地ほしくね?

文鳥 それなのよ。怠ける余地ほしい。

Aska なんだろうね。でも、この「努力してるけどできない」って強調されるモヤモヤめっちゃあるなあ。「(あなたは)怠けてるわけじゃない」って伝えることで、面談してる先生的には自身の特性への理解を深めてほしいみたいな意味合いがあるのかなって思うけど。…でも、怠けたいじゃん(笑)。

文鳥 そうだよね。

Aska だし、怠けちゃいけないっていうのがプレッシャーになる感もある。怠けてないっていう証明が自分の中で必要みたいなさ。

文鳥 そうそう、そこの線引きができないっていうのはあるよね。怠けてるのかなんなのか。

Aska 別に、怠けてるか休んでるかくっきり分けられるわけじゃないんだよね。

文鳥 それいい言葉。休むのは怠けだし。

Aska 休むの苦手なんだけどさ、「怠けていいじゃん」みたいな気持ちになれないことがある。ぐったりしてるけど頑張んなくちゃ~みたいな気持ちのときとかさ。休めばいいはずなんだけど、怠けてるんじゃないか自分はみたいな。そこで「あなたは怠けてなくて鬱でぐったりしてるだけですよ」っていう説明も一つの説明ではあるけど「怠けてもいいんですよ」って言ってもいいはずじゃん。でも、合理的配慮は「あなたは怠けていて、怠けてもいいんですよ」って言ってくれない感じがする。

文鳥 そうだね、そうだね。頑張るのがデフォルトみたいな感じの(笑)。

Aska そうそう(笑)。でも大学の単位取るのってそういう側面あるのかなあ。みんなさあ、割と怠けてるよね。授業聞いてねえしさ、それで割と単位取れてるよね。学期の最後に頑張るみたいな感じだからね。

文鳥 うーん。

合理的配慮は誰にとって「合理的」なのか

Aska そういえば、合理的配慮の「合理」怖いみたいなツイート前にしてたなあ。

文鳥 そうだね。どういう風に怖い?

Aska ツイートには、誰にとっての合理的なんだろうっていうのはモヤモヤするって書いてた。「こういう困りごとがある」ってハッキリしてる人にとってはかなり合理的なんだと思うけどさ、これさえクリアすれば多くの学生と同様の就学効果を得られるっていうのがはっきりしてれば合理的なんだろうけど、自分の場合さ、これさえクリアすればいいみたいなのがなさそうだから、合理的が怖く見えちゃうっていうのがあるかも。そう思うと、合理的って言葉の合理性って、システムを動かす側の人にとっては合理的で、ユーザーにとっては合理的ではないって感じがしてしまう。

文鳥 面白い。Askaさん書き物してくれないかな。

Aska (笑)。

文鳥 長く考えたい話題。合理的って誰にとってって。

Aska 書くの苦手だから、ここで喋ってるところはある。

文鳥 対談は対談で違った可能性があるように感じる。

Aska たしかに。この前モヤモヤすること書こうと思ったんだけど、「たしかにこれはこうなんですけど、たしかにそうなんですけど、でも、でもちょっとモヤモヤしてるんですよ~💦」みたいな言い訳めっちゃして書けなくなっちゃうなって思った。対談だったらひょいって言えちゃうところある。文鳥さん、ここまでの話で思ったことない?

文鳥 「努力してるけどできない」と「怠けてるからできない」の境目をくっきり分けようとする感じ、『不登校、選んだわけじゃないんだぜ!』だったかな。どんな文脈でその言葉がでてきたか覚えてないんだけど、病気・障害だったら努力できないのは仕方ない。で、病気や障害じゃなかったら仕方なくないから頑張りなさい、というかコントロールしなさいみたいな。そういうのあるじゃないっていうか、Askaさんが言ったこともそういうことかな。…っていうのを批判する文章があったのを思い出したな。

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Aska たしかに。「病気であるか障害であるか」どうかっていうのと、「努力してるけどできない」と「怠けてるからできない」と重なる感じするよね。

文鳥 パラレルな感じあるよね。

Aska ずっとついて回るよね。「ホントは頑張ればできるんじゃないか、私は」みたいなね。そこをずっと追求させられる感じがするなあ。

単位が取れた時ってどんな状態?

文鳥 Askaさん単位がスムーズに取れたときがあったって言ってたじゃない?そういう配慮が使わなくてもってこと?

Aska そうそう。

文鳥 その時の状態と今の自分って違うと思ったりする?

Aska わかんないんだよね~。危機感を感じられるかって問題かなあとも思ってたけど。その時は単位取れないとやばいっていうのがあって、がんばるぞってなってたんだけど。うーん、わかんないかも。

文鳥 そっか。難しいよね。何が自分のできる/できないに影響してるのか分かんない。

Aska 文鳥さんは単位取れる時と取れない時で違う?

文鳥 単位取れた時は、落ち込むことが少なかったかな。少なかったというよりは長引かなかったかな。私は今まで一番単位取れて学生生活感が感じられたのって今年の春から初夏にかけての学期だったんだけど、そこでは寮生活していて、喋る人がいたことと、やる家事が尽きなくてそれでいい感じに手を動かしたり足を動かしたりしていたかな。

Aska 歯車が回ってる感じだね。

文鳥 歯車っていいたとえだね。複数あるじゃん歯車って。それが回って動いてるからね。そうだよね。

Aska 文鳥さんの話聞いてたら、単位取れてた時友達いたなって思った。大学内にね。

文鳥 いいものたくさん思いつくな、Askaさんと喋ってると。

Aska 人と喋ると違うね。

文鳥 「病気・障害だったら仕方ない」「努力してるけどできない」だったら仕方ないけど「病気・障害でなかったらがんばれ」「怠けているからできないんだ」みたな、これ掘り出したいよな。化石みたいに掘り出して、考古学者と探検家の、Askaさんと文鳥さんがどこどこで見つけた化石ですって言って、綺麗に掘り出して展示してみんなに掘り出してもらう(笑)。

「ノンバイナリーじゃないかもしれない」という悩みとの類似

Aska この軸色んな所で発生してる気がしててさ。全然別の例なんだけど、昨日ね、吉野靫さんとペス山ポピーさんの対談イベントに参加したのね。事前に質問を募集してたらしくて、その中でも一番きた質問が「自分がジェンダー規範にモヤモヤするから、あるいはミソジニーがあるからノンバイナリーかもしれないと思い込んでるだけなんじゃないか悩んでる」みたいな内容だったらしくて。それもさ、ピュアな「ノンバイナリー」みたいなのが存在していて、ジェンダー規範にモヤモヤしてることはノンバイナリーである理由にならないとかさ、ミソジニーを持っているから女性じゃないと思いたいと思ってるみたいなものを排除した先に「ノンバイナリー」っていうピュアなものがある前提がある感じなんだろうけど。「怠けてるからできない」っていうロジックもピュアな病気とか、ピュアな障害みたいなのがある前提な感じがして、「ノンバイナリー」の件とパラレルな感じしない?

文鳥 おー、おもしろい。もう一回言って、それ。すごい。

Aska 言えるかな(笑)。ピュアな○○みたいなのを求めて、そうじゃない可能性を排除していかないといけないみたいなのがさ、ありがちだなって思った。

文鳥 そうだよね。なんて言ったっけ、「ピュアな病気とか障害っていうのを、ピュアできなさっていうのがあって、それを追い求めていく」のと「自分は他の人と同じように出来ていくんじゃないかっていうのを追求していって、ピュアじゃないものを劣位に置く」感じかな。

Aska そんなな感じかも。アイデンティティとかでもそういうもの発生してるよなって。

文鳥 ピュアなものって実際ないんだよね。頭の中ぐらいにしか(ないよね)(笑)。

Aska そうだよね。だからさ、多分さ、病気とか障害とか「ノンバイナリー」みたいなカテゴリーとかも、カテゴリーの作り方の発想がどこかでうまくいってないからピュアなものみたいなのが発生するから、どこか考え直さないといけないんだろうなって感じがする。

文鳥 そうだよね。実はこれから予定が入ってて、これで終わらないといけない。

Aska またやろっか。

2人 ばいばーい。