雨がもたらす安らぎと雨音について
今日、こちらでは雨が降っています。
用事がない日の雨は喜ばしいものです。
特に雨音は私に安らぎをもたらします。
でも、雨音が聞きたくなった時に、雨の録音をユーチューブなんかで聞いてみても、何か違う。JPOPやクラシックなどの音楽だったら録音でも十分に楽しめるのに、なぜ雨音は楽しめないのでしょうか。気分の問題?
今回は雨を感じつつ、ちょっと雨について考えてみます。
雨音は「雨の降る音」といいますが、実際には雨が落ちてきているまさにその途中の、雨粒と空気との摩擦の音は聞こえません。(聞こえるとしたらどんな音なんだろう??矢が飛ぶ音みたいな感じ?ピュン!)ですので、「雨が地面とぶつかる音」「雨が地面で跳びはねる音」といった方がいいかもしれません。
そんな雨音ですが、普段聞こえる音とは、全く違う性質があるのです。それは、距離感があやふやなことです。
私たちの持つ音に対する距離感覚は、救急車を思い出してもらえばすぐにわかると思います。音の高さや大きさの変化で、「救急車が向こうへ行った」とか「うわ~近くで停まったよ。知り合いじゃなければいいんだけど......」なんてことを考えます。
ラジオや洗濯機の音、授業で誰かが発表する声。正確ではなくとも、音源までの距離はなんとなく分かるものです。
さて、雨の場合を考えてみましょう。
雨音はどこから聞こえるでしょうか。今、雨が降ってるよって人はどこから聞こえるのか、よくよく耳をすませてみてください。
近くは、屋根や傘などの頭上や、目の前の地面から。遠くからは、車が水たまりをバシャーーっと通る音や、遠くから聞こえるために小さくなってしまった雨音も聞こえてきます。メデューサの目を見た者が一様に石になってしまうように、雨の日は外にあるものすべてが、雨や水たまりにぶつかって雨音を発する音源へと変化していきます。
このように、雨音は様々な距離から同時にやってくるため、私たちの音に関する距離感覚を少しゆるめ、それに雨が外界の音を雨音へと変化させる効果もあいまって、雨は普段とは違う、新たな日常空間へと私たちを呼び込むのです。
冒頭に私がユーチューブの雨音を楽しめなかったのも、スマホは、ラジオなんかと同様に、距離感覚をつかみやすい音しか発してくれなかったからです。うまく立体音響を再生できるミュージックプレイヤーがあれば、雨の癒しを疑似体験できるでしょう。
雨が音のある静けさを生み出すのも私たちがもつ音に対する距離センサーがゆるむためです。
それは秋の夜長の虫の声や、カフェなどの雑談が入り混じる空間で他人の声があまり気にならなくなることと同じかもしれません。
そうこうしているうちに、雨がやんでしまいました。私は夕飯の材料を買いに行かねばなりません。それでは。