【遺書供養】今までありがとうございました。

これは昨年書いた遺書だ。勢いで書いた私の妄想で、このように死のうというフィクションだ。一時期はこのフィクションに縋ることで持ち堪えていたし、今でもたまに頼っている。年老いたとはいえまだ現役なのだ。そのため伏せ字も駆使している。

一応書いておくと、少なくとも当面の間は自殺しないと思う。この遺書だってある程度用が済んだから公開するのだ。また、遺書があったから生き延びれた、そういう事だってある。

 

 

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私はいま、あるところにいる。

できれば最後に私の見ている景色を皆さんと共有したかったけれど、日が暮れて何も見えない。弱々しいスマホの明かりが私を照らし、それ以外は暗闇。海の音。

****で自殺することを考えたとき、真っ先にここで死のうと思い立った。

ここに来たのは今回で2回目。最初に訪れたのは数年前。当時は事あるごとに自転車でウロチョロしていた。高校生の頃から自転車旅を繰り返していたが、それは家にいなくてすむ口実になるからという理由が大きかった。旅は孤独で苦しい時間が長い。ほとんどの時間は一人で黙々と進み続ける。たまに偶然出会った人に癒される。彼らと別れた後はその出会いを噛みしめながら再び孤独とたたかう。私にとって旅は、ある種の自傷行為だった。一人暮らしを始めても、気の進まない旅をする癖は治らなかった。雪の降りしきる夜によくわからない商店街のベンチで凍えていたこともあった。

 

生きることをやめるにあたってこの場を選んだのは、遠藤周作のある言葉の意味に気づいた場所だからだ。それ以降、ぼくは自傷的な旅をやめた。自然とやめることができた。

人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです

この言葉をどこで知ったか分からない。大学一年生のころ、遠藤周作にはまっていた。ネットサーフィンが好きなので、その中で目にしたのだろう。この言葉の意味はよく分からなかったが、この島に初めて来たとき、夜明けを待っている間にふと思い出した。

その旅もいつも通り孤独に苦しんだ。手書きの地図しかないので道も正しいのか分からない。坂を上ったり下ったり、体力的にもやられていた。博物館の学芸員さんと話が合い、1,2時間喋ったことは覚えている。孤独に苦しみ、時々人に出会う。何もかもいつも通りの旅だった。そんな中、この場所にたどり着いたのだ。人はほとんどいなかった。目当ての景色に行く途中、この場所にピッタリな美しい人とすれ違い、静かにあいさつを交わした。それからは崖っぷちで3時間ぐらいぼんやりしていたと思う。崖の下を打ち付ける波をずっと眺めていた。私が生まれる遥か昔から岩に波が当たっては引いて、当たっては引いてを繰り返してきたのか。そう思うと何もかも忘れた。

そのとき再びあの言葉が思い出された。

人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです

ああ、この言葉は「人間がこんなに哀しいのに、海があまりに碧くて生きていかざるを得ません」という意味なんじゃないか。ふと、そう思い至った。実際、私はその景色に癒されていた。予定ではその後も色々な場所を訪ねることになっていたが、計画を全て取りやめてそのまま船に乗って帰った。それでよかったのだと思う。それ以降、私は自傷的な旅から離れた。

 

わたしはもう一度、自傷的な旅に終止符を打とうとしている。

 

私と知り合ってくれてありがとう。この件に関しては誰も悪くないし、自分を責めるようなことはしないでほしい。先にも述べたけど、自傷的な旅を終わらせたかっただけだ。これ以上自分を傷つけてまで生を続けていたくない。ぼくは自分のことしか考えられない人間だ。

 

最後に残す言葉としてはあまりに陳腐かなあ。まあ、私はその程度の存在だったということで(笑)。それじゃあ、お元気で。