鴨居玲展行ってきた。久しぶりに1冊通読した。

鴨居玲展へ行ってきた。展覧会は6日までギリギリセーフ。

鴨居玲の存在は、ツイッターのフォロワーを通じて以前より知っていた。おっさんの悲哀。多分私は苦しんでいる姿が好きだ。理不尽に苦しんでいるその姿に癒される。苦しみ戸惑う姿に癒される。あんま健康的ではないかも。

 

本展は、鴨居玲の作品を初期から追いかけていく形で展示されていた。時期ごとに絵を追いかけていくことで、鴨居玲の問題意識や苦悩がどのように変わっていったのか、どことなく伝わってくる。以下、雑なメモを元に感想を書いてみる。鴨居玲のことも芸術のことも分からないので、すべて私が勝手に受け取ったものです。

 

わたしはどこにいるのか。流血の赤でも地獄の赤でも怒りの赤でもない、その印象的な赤はどこにいるのか。鴨居玲の作品は背景があまり描かれない。どこにいるのか分からない。その不安はどことも誰とも関われている気がしないという、一種の浮遊感からくる不安のように感じた。ぼんやりと空いたその口は、驚きを見せたり、サイコロの行く先に興奮したりしている。あるときは、やり場のないため息のような慟哭を上げる。そのため息は声にならず、誰も耳を傾けようとはしない。それは、苦しさが、悲しさが、惨めに思えるからだ。あるいは、苦しさがうまく表現できない。誰とも言葉を交わせない。発した言葉は蛾になり、誰も聞き入れてくれない。そんな気がして仕方がない。わたしはどこにいるのだろう。

没後35年 鴨居玲展 静止した刻 | 久留米市美術館 | 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ

(https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/4590より)

私の話を聞いてくれ。そこに描かれているのは1人だ。誰の背中も見えない。誰もこの人に背中を向けたりはしていないのかもしれない。鴨居玲はきっとユーモラスな人だった。周囲には気の置けない人もそれなりにいて、海外でも酒なんかを通じて現地の人と仲良くやっていたんじゃなかろうか。鴨居玲の周りには人がいた。だから絵には背景がない。決して誰も私に背中を向けたりしない。だから、ようやく発した声も泡になって消えてしまうような孤独に、もがきに、背景は不要だった。

 

鴨居玲の作品には酔っ払いもよく登場する。星の王子さまの酔っ払いを思い出した。どこかユーモアさえある悲哀。「どうして酒を飲んでいるの?」「恥ずかしいのを忘れるためさ」「恥ずかしいって?」「酒を飲んでることだよ!」何か助けになればと思って声をかけた王子だったし、酔っ払いもそれは承知だ。でも、どうしてもこれ以上答えられない。どうしていいか分からない。言葉がつかまらない。

 

 

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1982年 私

「もうどうしていいかわからない。なあ。」今まで書いてきたキャラクターを思い返し、今までもがいてきたことを思い返し、発した言葉。そう言って私に投げかけられたその目は、何かアドバイスを乞うものではなかった。どうしていいか分からない。身動きの取れないまま動いた結果がここまでの作品群だったのかもしれない。

 

 

 

www.iwanami.co.jp

久しぶりに本を1冊一人で通読した。読める、読めるぞ!

野田又夫デカルト』本書の前半は、デカルトと当時の様子を絡めて描き、後半からその思想に入る。何やらデカルトは今の時代の考え方などに大きな影響を与えているらしいと聞いて読んでみたのだが、その点に関してはわからず。