2017年10月18日のメモ

 

一人称で話そうとするとき、それまで誰かに向けられていた視線はふっとそれ、魂の視線は見えない心的世界へと移行する。魂を賭したつぶやきが始まる。誰かに向けられていた言葉は途切れ、暗闇で壁をなぞりながら探るように、人格を慎重になぞっていく。発話は途切れ途切れになり、沈黙に満ち満ちたつぶやきが始まるのだ。その沈黙は空虚なものではなく、豊か、豊穣でそして混沌とした沈黙だ。例えるなら水中でしゃべろうとしている状態だ。私の想いは表現を試みても無数の泡となって消えていく。そして、泡の音とともにくぐもった未分化な音だけが響いていく。


伝えたかった言葉は泡に消え、泡の音とともに声の残骸が水中に響き渡る。その音でさえ、向こうに見える相手に伝わったのかも分からない。地上ならこの距離でも声は届くはずだが、ここは勝手が分からない水中だ。
向こうにいる奴が何か声を発し返した時、俺の声は届いていたのかもしれないと思えるようになる。もちろん、そいつの言わんとした言葉達も発した先から泡沫に溶けてゆく。俺に届くのは単語を失った声だけだ。原初のコミュニケーション、心の通いは叫びだったのかもしれない。私もここにいるよ、という。

水の感触はあれど、掴もうとすれば何も残らない。

魂をぶつけるのではなく、魂を賭して語る。

 

追記:

当時大学二年生だった私は単位が足りず研究室に入りそびれており、足りない単位をひとり回収していた。また、2年生になってから以前いた寮も離れて現在の家に引っ越した。寮の友人以外大学に知り合いがいなかった私は孤立を加速させていた。

寮での人間関係は良好だった。しかし、当時埋没*1して暮らしていた私はトランスであることがバレないように常に神経を尖らせていたし、埋没したところで「自分らしくのびのびと」過ごすことなんてできなかったため、自分は何者にもなれない中途半端で気持ち悪い奴、フリークだと自己嫌悪に陥っていた。男性と名乗っても嘘になるし、女性と名乗っても嘘になる、というように。自分は自分だと言い聞かせてもいたが、大して効果はなかった。また、寮ではご飯を食堂で食べることになっていて、調子の悪い時は聴覚過敏のためにパニック寸前だった。

そんなわけで引っ越して孤立することは、当時の私にとって必ずしも悪いことではなかった。人と接しないから性別も気にしなくていいし、ご飯だって落ち着いて食べられる。孤立することで生活環境は改善された。とはいえ、大学1年生の頃から始まっていた幻覚の類は徐々に悪化していた。

*1:トランスジェンダーであることを周囲に知られないまま、希望する性別で過ごすこと