レポートは…………書けへんかったわ 『ぼちぼちいこか』を読んだ

今学期もほとんど単位を落とした。講義にもあまり出席できていない。理由は書かない。どう書いたって言い訳がましくなるだけだ。なぜ大学に在学しているのか分からなくなってきた。お金がかかるばかりなら、退学してもいいのかもしれない。そういえば、精神科に入院したとき、懇意にしていた患者さんに「K大学の学生さんなんや。期待されてキツそうやなあ」と言われた。一度もそのようなことは自覚したことはなかったけれど、そういう側面も多少はあるのかもしれない。大学に入学したときはあれだけ褒められたのに、こんな有り様か、と。

今の私はダメダメだ。先述の通り単位はままならず、バイトも続かない。バックレるなり、1か月以内で辞めるなりを繰り返している。つい先日、2日間だけの短期バイトで仮病を使った。コロナを疑われて一騒動起きたわけだが、まあ、どこに行ってもそんな調子で、バイトを転々としている。

この程度のことも続けられない私はこの先どうなるのだろうか。思考はどんどんとネガティブな方へと落ちていく。

先日、生活保護を受けていた、それなりに年を取った親子が餓死しているのが発見されたらしい。詳しいことは忘れたけれど、お金がなかったのだろう。生活保護を受けていたということは何かしらの形で助けを求められたけれど、もうそれ以上はSOSを出せなかったのかもしれない。絞り出したその声は様々なことが絡み合って無視されたのかもしれない。私もそうなるかもしれない。ぶるぶる。

 

最近、こんな絵本を読んだ。 

www.ehonnavi.net

 物語はいたってシンプルで、カバが消防士からピアニスト、カウボーイまで色々な仕事を試してみるが1ページ後には失敗する……というのを繰り返すだけ。その様が関西弁でユーモラスに描かれている。

「ぼく、しょうぼうしに なれるやろか。」

(次のページ)「……………なれへんかったわ。」

リズムもよく、音読していると楽しい気分になる。

そういえば、「おじゃる丸」のケンさんも似たような役回りだった。色んなバイトにチャレンジするが、ことごとく失敗して終わる。

www.youtube.com

 

 

どないしたら ええのんやろ。

すべてのチャレンジに失敗したカバは途方に暮れる。

そや。ええこと おもいつくまで ――ここらで ちょっと ひとやすみ。

ま、ぼちぼち いこか ――と いうことや。

 ハンモックに乗り、真ん丸に見開いた目で読者を見つめるカバがそう言ってこの本は終わる。

 

こうやって、のんびりやってけたらなあ。

ぢっと通帳を見る。 

『話ベタですが・・・』こじらせ系話ベタがインターネットの片隅で吠える

本を読んだらブログを書こうと思いつつ、書けていない。一つは書くことが思いつかない。もう一つは、つまみ食い式に読んでいるので読み終わらないのだ。そうこうしているうちに返却期限を過ぎてしまう。あれに手を出しこっちに手を出す。そんな私が久しぶりにサラッと通読したのがこの本。

 

www.kawade.co.jp

穂村弘小川未明最果タヒ萩原朔太郎。エッセイから童話、緊張したときの生理学的なメカニズムや席のどこに座るかでタイプが分かるという怪しげな性格診断まで、あれこれ詰め込んだ話ベタな人に向けたアンソロジー(ということになっている)。ただし、ここに掲載されている作家はみな話ベタであるというわけではないらしい。気になるところだけ、つまみ食い、つまみ食い。

 

場を盛り上げ、爆笑をかっさらっていく人をテーマにしている短編がいくつかあった。

例えば、安西水丸「気づかいのある人とは」は、冗談やユーモアを言う人を絶賛し、まじめな話しかできない人を「話にならない」とこきおろす。うるせーうるせー。生真面目型話ベタの私もユーモアのセンスを切望して仕方がないけれど、口から出るのは紋切り型で遊び心のない言葉ばかり。面白いことを言おうにも、自分では最高潮だったはずの場面で何のリアクションもなく私だけヘラヘラ笑っているという有り様。「ハハハ...」と気づかって笑ってくれる人もいるが、それはそれで申し訳ないという思いに駆られる。同時に、私は偏屈者であるので、誰かが場を盛り上げみんながドッカンドッカン爆笑していると何やら気持ちが冷めてくる。私の感情をうまく揺さぶろうと促してくるそのエネルギーに乗れなくなってくるのだ。そうして、話し手としても聞き手としてもその輪にいられなくなる。ああいうとき、というか大人数での会話ってどうやって楽しむものなのだろうか。

 

何より好きだったのは萩原朔太郎「僕の孤独癖について」だ。いじめられていた小学生にさかのぼり今に至るまでの孤独癖の変遷について振り返る。青年期にはとにかくやろうと思っていたことと反対のことをしてしまう強迫観念があったらしい。

僕の心の中では、固くその人物と握手をし、「私の愛する親友!」と言おうとして居る。然るにその瞬間、不意に例の反対衝動が起って来る。そして逆に、「この馬鹿野郎!」と罵る言葉が、不意に口をついて出て来るのである。

これは、大変だ。朔太郎が言うには、人づきあいが嫌いというわけではないが、これ以外にも色々と変わったところがあり、それを理解されないために人づきあいが煩わしかったという。 ままならなさと、それを率直に書くこの感じがとてつもなく愛くるしい。一方、この文章を書いている時期の朔太郎の孤独癖はなくなってきたとある。最後は希望で締めくくられているのだが、果たして。

www.aozora.gr.jp

 

山崎(ナオコーラ)冬のホン祭り① 『反人生』プレイバック

   山崎(ナオコーラ)のホン祭り (©友人S)

毎年恒例!山崎(ナオコーラ)冬のホン祭りがはじまりまった。

遡ること数か月前。不定期に二人で読書会をしているS氏と「たまには小説でも読んでみる?」ということで、山崎ナオコーラ『反人生』という短編集を取り上げてみたところ大ヒット。

www.kinokuniya.co.jp

読書会前は「まあまあだったなあ。小説の読書会なんてお互い初めてだし、盛り上がるかしら。」などと不安に思っていたのだが、ぽつりぽつり喋る中でふとした時に二人の間で衝撃が走った。友情は終わる。恋愛関係は終わるときがくるが、友情が終わることはそうそうないと思い込んでいた。それも「そうかそうか、つまり君はそんなやつなんだな」などという決定的な瞬間があるのではなく、なだらかに終わっていく。友人に一方的に託していた、自分もありえたかもしれない破天荒な姿。私にはできなかった世界旅行なんかをしていく姿にテンションが上がるが、友人も成長するにつれ起業し会社員になり、勝手に託していた姿とは別のレールを走り始めていく。そして、彼は破天荒であってほしいという私の期待になんとなく気づいており、それをどことなく重荷に感じていた。『反人生』所収「越境と逸脱」では、友人が別れを告げに来る。友情にも別れはある。大した理由はないが、別れ際に「あ、この人とはもう会わないな」と思いつつ「じゃあね。」と手を振ることがある。「またね」とは言わない。そうかと思えば、その後普通に相手からまたお誘いの連絡があることもある。友人との別れにも色々ある。

 

ちなみに。「なす、大学に入ってから変わったよね」と落胆交じりに言われたことが何度かある身から言わせてもらえば、新しく乗ったそのレールは、あなたの期待に沿うものではないかもしれないが、あなたが期待しえなかった何か別の面白さを見出して生きてますよ.........と、一言添えておきたい。私自身何やってるんだか分からないけど、私からすれば以前も今も大して変わってはいない。

 

 

最近、S氏が「山崎(ナオコーラ)冬のホン祭り」なる言葉を創り出し、語感の面白さから私も乗っかることにしたのだった。とりあえず読書会はしたいよねってことで『美しい距離』の読書会をやりましたとさ。近々『美しい距離』についても書く予定。文章書くの、今日は力尽きました。

鴨居玲展行ってきた。久しぶりに1冊通読した。

鴨居玲展へ行ってきた。展覧会は6日までギリギリセーフ。

鴨居玲の存在は、ツイッターのフォロワーを通じて以前より知っていた。おっさんの悲哀。多分私は苦しんでいる姿が好きだ。理不尽に苦しんでいるその姿に癒される。苦しみ戸惑う姿に癒される。あんま健康的ではないかも。

 

本展は、鴨居玲の作品を初期から追いかけていく形で展示されていた。時期ごとに絵を追いかけていくことで、鴨居玲の問題意識や苦悩がどのように変わっていったのか、どことなく伝わってくる。以下、雑なメモを元に感想を書いてみる。鴨居玲のことも芸術のことも分からないので、すべて私が勝手に受け取ったものです。

 

わたしはどこにいるのか。流血の赤でも地獄の赤でも怒りの赤でもない、その印象的な赤はどこにいるのか。鴨居玲の作品は背景があまり描かれない。どこにいるのか分からない。その不安はどことも誰とも関われている気がしないという、一種の浮遊感からくる不安のように感じた。ぼんやりと空いたその口は、驚きを見せたり、サイコロの行く先に興奮したりしている。あるときは、やり場のないため息のような慟哭を上げる。そのため息は声にならず、誰も耳を傾けようとはしない。それは、苦しさが、悲しさが、惨めに思えるからだ。あるいは、苦しさがうまく表現できない。誰とも言葉を交わせない。発した言葉は蛾になり、誰も聞き入れてくれない。そんな気がして仕方がない。わたしはどこにいるのだろう。

没後35年 鴨居玲展 静止した刻 | 久留米市美術館 | 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ

(https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/4590より)

私の話を聞いてくれ。そこに描かれているのは1人だ。誰の背中も見えない。誰もこの人に背中を向けたりはしていないのかもしれない。鴨居玲はきっとユーモラスな人だった。周囲には気の置けない人もそれなりにいて、海外でも酒なんかを通じて現地の人と仲良くやっていたんじゃなかろうか。鴨居玲の周りには人がいた。だから絵には背景がない。決して誰も私に背中を向けたりしない。だから、ようやく発した声も泡になって消えてしまうような孤独に、もがきに、背景は不要だった。

 

鴨居玲の作品には酔っ払いもよく登場する。星の王子さまの酔っ払いを思い出した。どこかユーモアさえある悲哀。「どうして酒を飲んでいるの?」「恥ずかしいのを忘れるためさ」「恥ずかしいって?」「酒を飲んでることだよ!」何か助けになればと思って声をかけた王子だったし、酔っ払いもそれは承知だ。でも、どうしてもこれ以上答えられない。どうしていいか分からない。言葉がつかまらない。

 

 

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1982年 私

「もうどうしていいかわからない。なあ。」今まで書いてきたキャラクターを思い返し、今までもがいてきたことを思い返し、発した言葉。そう言って私に投げかけられたその目は、何かアドバイスを乞うものではなかった。どうしていいか分からない。身動きの取れないまま動いた結果がここまでの作品群だったのかもしれない。

 

 

 

www.iwanami.co.jp

久しぶりに本を1冊一人で通読した。読める、読めるぞ!

野田又夫デカルト』本書の前半は、デカルトと当時の様子を絡めて描き、後半からその思想に入る。何やらデカルトは今の時代の考え方などに大きな影響を与えているらしいと聞いて読んでみたのだが、その点に関してはわからず。

【遺書供養】今までありがとうございました。

これは昨年書いた遺書だ。勢いで書いた私の妄想で、このように死のうというフィクションだ。一時期はこのフィクションに縋ることで持ち堪えていたし、今でもたまに頼っている。年老いたとはいえまだ現役なのだ。そのため伏せ字も駆使している。

一応書いておくと、少なくとも当面の間は自殺しないと思う。この遺書だってある程度用が済んだから公開するのだ。また、遺書があったから生き延びれた、そういう事だってある。

 

 

○○○○○○○○

 

 

私はいま、あるところにいる。

できれば最後に私の見ている景色を皆さんと共有したかったけれど、日が暮れて何も見えない。弱々しいスマホの明かりが私を照らし、それ以外は暗闇。海の音。

****で自殺することを考えたとき、真っ先にここで死のうと思い立った。

ここに来たのは今回で2回目。最初に訪れたのは数年前。当時は事あるごとに自転車でウロチョロしていた。高校生の頃から自転車旅を繰り返していたが、それは家にいなくてすむ口実になるからという理由が大きかった。旅は孤独で苦しい時間が長い。ほとんどの時間は一人で黙々と進み続ける。たまに偶然出会った人に癒される。彼らと別れた後はその出会いを噛みしめながら再び孤独とたたかう。私にとって旅は、ある種の自傷行為だった。一人暮らしを始めても、気の進まない旅をする癖は治らなかった。雪の降りしきる夜によくわからない商店街のベンチで凍えていたこともあった。

 

生きることをやめるにあたってこの場を選んだのは、遠藤周作のある言葉の意味に気づいた場所だからだ。それ以降、ぼくは自傷的な旅をやめた。自然とやめることができた。

人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです

この言葉をどこで知ったか分からない。大学一年生のころ、遠藤周作にはまっていた。ネットサーフィンが好きなので、その中で目にしたのだろう。この言葉の意味はよく分からなかったが、この島に初めて来たとき、夜明けを待っている間にふと思い出した。

その旅もいつも通り孤独に苦しんだ。手書きの地図しかないので道も正しいのか分からない。坂を上ったり下ったり、体力的にもやられていた。博物館の学芸員さんと話が合い、1,2時間喋ったことは覚えている。孤独に苦しみ、時々人に出会う。何もかもいつも通りの旅だった。そんな中、この場所にたどり着いたのだ。人はほとんどいなかった。目当ての景色に行く途中、この場所にピッタリな美しい人とすれ違い、静かにあいさつを交わした。それからは崖っぷちで3時間ぐらいぼんやりしていたと思う。崖の下を打ち付ける波をずっと眺めていた。私が生まれる遥か昔から岩に波が当たっては引いて、当たっては引いてを繰り返してきたのか。そう思うと何もかも忘れた。

そのとき再びあの言葉が思い出された。

人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです

ああ、この言葉は「人間がこんなに哀しいのに、海があまりに碧くて生きていかざるを得ません」という意味なんじゃないか。ふと、そう思い至った。実際、私はその景色に癒されていた。予定ではその後も色々な場所を訪ねることになっていたが、計画を全て取りやめてそのまま船に乗って帰った。それでよかったのだと思う。それ以降、私は自傷的な旅から離れた。

 

わたしはもう一度、自傷的な旅に終止符を打とうとしている。

 

私と知り合ってくれてありがとう。この件に関しては誰も悪くないし、自分を責めるようなことはしないでほしい。先にも述べたけど、自傷的な旅を終わらせたかっただけだ。これ以上自分を傷つけてまで生を続けていたくない。ぼくは自分のことしか考えられない人間だ。

 

最後に残す言葉としてはあまりに陳腐かなあ。まあ、私はその程度の存在だったということで(笑)。それじゃあ、お元気で。

読書記録初めて見ます。納富信留『プラトンとの哲学』

タイトルの通りです。実は一度、ふみふみこ「愛と呪い」で書いたのですが、「友達と遊んで楽しかった」みたいな日記メインになってしまい、しかも読書感想文めちゃくちゃ苦手であることに気づきました。

そもそも、なぜ読書記録を始めようと思ったかというと、ツイッターのフォロワーさんが「文章書くといいですよ。わたしは、院時代、毎日一冊読んで、ブログを8,000字ぐらい書いてました。それで自分を空にしていた」と言っていて、「自分を空にする」という言葉にずっと惹かれていました。私はとにかく自分で一杯だった。今もそうだが、ずっと自分、自分、自分。自分を手放したい。これは眠れそうで眠れない時にいつも思うが、どこかで自分を手放せずにいる。

もう一つ、読書記録をつけようと思った理由がある。それは、どーーーーーしてもレポートが書けずにいることだ。広大な白紙を前にすると今度は頭が空っぽになる。計画性のなさなど色々なことが絡み合ってレポートが書けないんだとは思うが、この4年間で生産した資源ごみの数は4,5本程度。まあ、多くても2桁はいかない。ほとんどの授業でレポートが必須であるのだがら、留年して当たり前だ。まあ、読書記録をつけることがレポートに役立つのかはよくわからんが、役に立つ気はする。役に立ってくれ。

そんなわけで、今ノートパソコンの前に座っているのだが近況報告くらいはダラダラ書けるもんだね。ほら、今656文字だよ。あっ、667文字になった。今までは気持ちがガーッと入り込んだ時に、そこから切り離すようにしてしかブログを書いてこなかった。だから新鮮な気持ち。俺、雑談できるんや。

あんまりダラダラ書いていると読書記録に辿り着く前に力尽きそうだ。最後にこれだけ書き残して、読書記録に入る。一度はグダった読書記録。なぜ再開することにしたかというと、友人から「もっと気楽にアウトプットしてもいいかもね」と言ってくれたからだ。ブログにも書いているみたいだから気になる方はそちらを。とりあえず、一言でいいからぼちぼち書いてみて、あわよくば何か上達すればいいなくらいの気持ちで読書記録やっていきます。

 

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

 

 

 

と言いつつ、最初の一冊を読み終えてから2週間、上の前置きを書いてから3日が経ってしまった。そのレベルの曖昧な読書記録であることは明記しておく。

 さて、そんな私が読んだのは納富信留プラトンとの哲学』。

 

プラトンとの哲学――対話篇をよむ (岩波新書)

プラトンとの哲学――対話篇をよむ (岩波新書)

  • 作者:納富 信留
  • 発売日: 2015/07/23
  • メディア: 新書
 

 友人に誘われて、貫成人『哲学マップ』という哲学史の新書を読む読書会に参加している。そのレジュメをつくる中で気になることが出てきたので借りてきた次第だ。ソクラテスプラトンはとにかく知ること、知ろうとすることと生き方の関係を、手を変え品を変え言っているように感じたのだが、いまいちどういうことか分からなかった。

 

そのような疑問を頭に入れつつ読む。本書は著者がプラトンに話しかけるスタンスで進む。いわば、対話篇をめぐる(著者とプラトンとの)対話篇である。プラトンの対話篇は、例えば『ゴルギアス』のように、ソクラテスの対話相手が本のタイトルになることが多い。それに倣うならこの本のタイトルは『納富信留』ということになる。

 

「魂の配慮」の勧告を哲学そのものにするには、言葉(ロゴス)における探求が必要です。(67)

ソクラテスはとにかくストイック。そして徹底して言葉にこだわる。どうしてロゴスによる探究である必要性があるのか。それはまだ読み取れなかった。おそらく第3章の『パイドン』のところが一番近いと思うのだが、私にはまだ難しかった。ソクラテスの説教臭さにも通じるそのストイックな姿勢は、徹底的に断絶した何かを意識し続けることでもある。断絶したものの一つに「死」が挙げられる。「死とは何か」を私たちは知らない。知らないものに目を向けようとし続けることは、訳の分からない「死」と向き合う練習に類似しており、その意味でこの哲学は「死の訓練」とも言える(76)。「知」と「死」はあまり接点がないような気もするが、ソクラテスなら「本当に知ったならその時点で生き方は変わる」と言うだろうし、「死」もよく分からない生き方に飛び込むことであり、やはり近いのかもしれない…。本書によれば、魂と肉体が分離するという意味でも、哲学と死というのは近い…そうだ。

 

あー、そういえば、哲学って一人で部屋に籠りきりとか、一人で散歩して思索にふけるイメージがあるけど、ソクラテスは対話を繰り返していてそこも気になるんだった。

 

対話篇の対話篇。今目の前にいない人と対話し続けること。その一端を覗かせてもらったように思うし、ここからは対話篇の対話篇の対話篇が始まるのかもしれない。

バラバラで耐え難く不気味。不気味の谷にいること。

バラバラだ。バラバラになっていく。

このまま身体もバラバラになってしまえばいいのに。そのようなことを思っているうちに気づけば世界も壊れていく。いや、見えている世界は変わらない。相変わらずの散らかった部屋。ぬいぐるみ。空き缶・空き瓶の山。本がいくつか散乱している。何も変わらない。たしかに世界は崩れていっている。何もかもバラバラになっていく。それにも関わらず私の身体はよく分からない仕方でつながっているし、今見える景色だって形を保っている。私が見出している「現実」とそこにあるはずの「現実」とのズレ。そのズレに私の神経は摩耗していく。私の身体も世界も歪な仕方で形を維持している。どうしていいか分からない。どうしていいか分からない。本当にバラバラだったらいいのに。スライムだったらいいのに。つかみどころのない訳のわからないものになりたい。バラバラになった私を見て戸惑い続けてほしいし、あるいは気づかないでいてほしい。

 

とにかく私はどうしようもなくバラバラで、バラバラでない「現実」とのギャップにずっと不気味さを覚えてきた。本来はバラバラであるはずの自分が形を保とうとしている。周囲は私を「形あるもの」の一員として扱ってくれていて、実際ある程度は「形あるもの」に接近しているのだろう。それでも実体はバラバラなのだ。「形あるもの」に限りなく接近しているが、「形あるもの」になりきれない何か。私はずっとそのような不気味の谷にいる。

 


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