自殺未遂とその直前

今夏、自殺未遂をした。あれから3か月が経とうとしている。ものすごい勢いであのときのことを忘れていっていることに気づいた。折角だし、色々と書き留めておこう。

 

死ぬことが頭から離れなくなったのはいつからだろうか。よく分からない。気づいたら死ぬことが頭から離れなくなっていた。「死ぬことが頭から離れない」と一口に言っても、その内実はさまざまだ。何かに絶望して「もう死ぬしかない」と思い至ることもあれば、「死ぬイメージが頭から離れない」というものもあった。例えば、自宅にいる時は、首つりしている自分のイメージが強迫的に頭から離れなかったし、外出すれば車にひかれる自分が強迫的に思い起こされた。このままこのイメージ通り動いて死ぬかもしれないと思った。それくらい力をもったイメージだった。

 

4月は何事もなく大学に通っていたが、5月くらいからあまり行かなくなった。過眠、昼夜逆転、無気力が主な原因だったと思う。大学に行かず引きこもっている間、死が頭から離れず、気分転換しようにもそわそわして何も取り組めなかった。通えていないという事実が私の首を絞め、絶望させ、ある時は自棄になって昼夜逆転を加速させた。たまには穏やかな時間もあったが、いずれにせよ学校には通えていなかった。

 

そんなある日、遠方に住んでいるRが「どうせ学校行ってないならうちに遊びに来なよ」と言ってくれて、1週間くらい泊りに行く約束をした。それからは、自殺を考えたときは「Rに会うまでは生きていよう」と言い聞かせた。

Rのもとへ泊りに行ったときは本当に楽しかった。気持ちが不安定になるときもあったが、「この時間が一生続いてほしい」などという変にドラマチックな言葉も浮かぶほど楽しかった。これが今生の別れかもしれないのに何を考えているのかとバカバカしくもなった。帰り道、なぜか胸のすくような気分だった。

帰宅してからは、すぐに死ぬわけでもなく、相変わらず死と葛藤する日々が続いた。変化があったとすれば「Rにも会えたし、もういいんじゃないか」と思うようになったことだろうか。それから10日後、自殺未遂をすることになる。

 

何が自殺するきっかけになったのかは分からない。状況もあまり覚えていない。死のうと思って実行に移したわけではない。急に何か苦しくなって頓服を飲もうとしたら、そのまま薬を飲む手が止まらなくなった。ただそれだけだ。その類の苦しさは以前から繰り返しあって、その度に頓服を飲んでいたが、その時は格別に苦しかった。とにかく楽になりたい。その一心で家にある薬を次々と飲んだ。「このまま死ぬんだろうなあ」と気づき始めたとき、その日の昼に電話で話を聞いてくれていたRのことが思い起こされた。このまま死んだらRは「あの時、もっと話を聞いていれば」みたいな自責の念に駆られるんじゃないか、と。私は無計画に死ぬわけだから、Rは悪くない。何よりRに苦しんでほしくない。ちょうどRからLINEがきたので、そのまま電話した。何を話したのかほとんど覚えてないけど、「Rは何も悪くないから」みたいなことを連呼していた気がする。このブログを書くにあたってLINEを遡ってみたところ、1時間40分くらい通話していたので、もうちょい何か話したのかもしれない。ともあれ、通話の途中で私が応答しなくなったらしく、Rは救急車を呼んだ。