壁打ちしんどい日記

バイトへ行くかと思い立ち、1階まで降り原付に乗ろうとしたら、ネコのうんこが座席にどっしりついていた。しかも下痢気味うんぴ。明日は平日なので、管理人さんが掃除してくれるだろうか。カラスのフンは毎回掃除してくれていたみたいだけど、あのサイズのうんこはさすがに躊躇するだろう。どうなることやら。

 

ここ数日、いや昨晩からかな。しんどさがきている。連日で泣いている。自分の行動に感情の意味付けができていない。何が苦しくて泣いているのかよく分からない。頭が混乱している。いっぱいいっぱいだ。

 

昨晩は、亡きMのことを思って泣いていた。死んでから10年が経とうとしているが、たまにMのことをあれこれ思う。正直、Mの死を悲しんだことは一度もない。ただ、たまに思い出して「もし今生きていたらなんと声をかけてくれただろうか」だとか「どのような関係性を築いていただろうか」「トランジションはどのようになっていただろうか」などということを考えたりする。そしてたまに泣く。「Mの死を悲しんだことは一度もない」と書いたが、実は死んでよかったとすら思っている。しがらみが減ることは私にとってはいいことでもあった。生きていたらそれはそれでいい関係性を築けていたかもしれないし、死んだことがきっかけとなって起こった暴力だって経験せずに済んだかもしれない。それでもやはり死んでよかったと思う。死んでいなかったら今の自分はないからだ...と書きかけて、今の自分は苦しいなりに人生のようなものを引き受けているのかもしれないと気づく。

 

今日は、親戚の訃報を聞いた。会う頻度が極端に少なかった人なので、どう受け止めたものか困惑した。我の強いちょっと怖い人だったような気がする。どんな人だったかあんまり記憶にない。そういえば、たしか数か月前くらいに別の知り合いがなくなった。その人とも疎遠だったが、随分後になってFacebookメッセンジャーに「近くまで来ているから会わない?」という連絡がきていたことに気づいた。それを見たときの気分はうまく言葉にできない。正直大して知らない人ではあるので、ショックを受けるとか後悔するというようなことはないが、死んでしまった人からきていた連絡に何とも言えない気持ちを味わう。うまく言葉にできないことばかりだ。

 

もう1件、今日の僕を振り回していたことがある。マヨネーズ氏との関係性についてだ。マヨネーズ氏は存命だし、プライバシーのこともあるような気がするのでぼかして書く。これで気持ちの整理ができるのかは分からないけれど。

発端は私がしたいことを相手に伝えて、それに同意してくれたところからはじまる。マヨネーズ氏は一度OKしてくれたけど、実際いろいろ試しているうちにやっぱり乗り気ではないかもしれない...…と考えているらしい。マヨネーズ氏は気持ちの整理中だと言っていた。他のときにもトラブらせてしまったこともあり、私の要望のために困惑させてしまっていることが苦しい。それに、なんというか相手の言葉をどのように受け止めていいか分からなくなってしまった。相手自身も自分の気持ちがあまり分かっていないみたいだから仕方のないことだとは十分わかっているつもりだ。しかし、OKしてくれたことが実は嫌だったり我慢させてしまっていたりするかもしれなくて、自分の人間関係に関する世界観の一部が崩壊しているような感じがする。これも苦しい。

また、私が要望したことがどうなるのか、相手はどのようなことを伝えてくれるのかも気になって落ち着かない。こればかりは相手の言葉を待つしかないのだが…。